1. 映画上映会と異世界転生
夏休みの夜、小学校の体育館では、恒例の映画上映会が開催されていた。昭和の文化を残したいというPTAの想いから、参加希望の親子を募り、会費で運営される地元の小さな催しだった。
上映会が始まるのは夜7時。まだ外が薄明るい時間帯から、子どもたちが次々と体育館に集まり出す。参加する子どもたちの多くは、映画そのものを楽しむつもりはなく、DSを持ち寄って通信対戦をしたり、友達と遊ぶ夜の特別な時間として過ごしていた。
それでも、一人の男の娘、玲央(れお)は違っていた。彼は上映会の告知ポスターに描かれたお姫様とメイドのシルエットに強く惹かれ、そのためだけに会場へと足を運んでいた。
上映される映画は、古びたフィルムを使用したアニメ映画。コピー機で印刷された簡素なポスターが、その内容の素朴さを物語っていた。「昭和の名作映画特集」と銘打たれたその映画は、昔ながらのフィルム映写機で上映されることになっていた。
「どうせ誰もちゃんと見ちゃいないだろうな……」 映写機を操作するおじさんは、少しぶっきらぼうな様子でフィルムをセットしながら呟いた。
やがて、体育館の照明が落とされ、子どもたちが親に注意されながら徐々に静かになっていく。上映が始まると、スクリーンに古びたフィルム特有の映像が投影される。
画面には、一人のメイド服を着た女の子と、そのお姫様が描かれていた。お姫様の最後の儀式を実現するため、メイドが奮闘する物語――。そのシンプルで誠実なストーリーは、玲央の心を強く捉えた。
上映は90分ほどで終わったが、多くの子どもたちはほとんど映画を見ておらず、親たちも寝落ちしている人がちらほら見受けられた。
「それじゃあ、片付けるか……」 映写機のおじさんが片付けを始める頃には、体育館はほぼ無人になっていた。
2. 静寂の体育館での願い
上映会が終わり、子どもたちが次々と体育館を後にしていく中、玲央は一人、舞台の端に座り込んでいた。 広い体育館は徐々に静けさを取り戻し、やがて、映写機を片付けるおじさんの音だけが響いていた。
「おじさん、もう一度だけ……あのお姫様のシーンを見せてくれませんか?」 玲央がぽつりと声を上げると、片付け作業をしていたおじさんが振り返った。
「ん?お前、まだいたのか」 おじさんは少し驚いたような顔をして玲央を見た。その表情は、長年こういった上映会を担当してきたせいか、どこか達観しているようだった。
「まあ、どうせ誰も見ていないと思ってたが……」 おじさんは少し苦笑しながら肩をすくめた。玲央の真剣な表情を見つめると、ため息混じりに続けた。「まあいいだろう、特別だぞ。最後にもう一回だけな。」
玲央ははっとして顔を上げ、「ありがとうございます!」と小さな声で返事をした。おじさんは古びた映写機に再びフィルムをセットし始めた。
舞台の上に上がり、玲央はスクリーンに向かって立った。真っ暗になった体育館の中、映写機の機械音が静かに響く。やがてスクリーンが再び光を帯び、お姫様のシーンが映し出された。
ステンドグラス越しに輝く月明かりが、お姫様の背中を包み込む。彼女は祈るように胸に手を当て、静かに街を見下ろしていた。遠くには灯火が揺れ、どこか切なさを感じさせる風景が広がっている。
玲央の胸の中に、何か温かいものが広がる。スクリーンに映るお姫様の優雅な姿に、自分自身がその場にいるような感覚を覚えた。 「すごく綺麗……」玲央は小さく呟いた。
玲央はスクリーンの光に手を向けるように立ち尽くし、そっと両手を合わせた。自分の胸の中で静かに湧き上がる思いを言葉にするように、目を閉じて小さく願う。
「どうか……あんな風に、誰かのために生きられるようになりたい……」
映写機の光が次第に強くなり、玲央の体を優しく包み込んでいく。周囲が白い光に満ち、視界がぼやけていく。玲央はまるで眠りに落ちるように、ゆっくりと瞼を閉じた。
そして、再び瞼を開けた瞬間――。
目の前に広がっていたのは、見慣れた体育館ではなかった。 雑踏が響く異世界のバザール。カラフルな布で覆われた屋台、行き交う人々、異国の楽器の音――玲央は言葉を失い、ただその光景に立ち尽くしていた。
3. 奴隷市場とお姫様の救い
玲央は木製の檻の中に閉じ込められていた。周囲の喧騒は耐え難く、笑い声や怒声が入り混じる奴隷市場の雰囲気は圧迫感で彼の心を締め付けていた。 「どうして……こんなことに……」玲央は膝を抱え込み、小さく呟いた。
やがて、一人の下品そうな男が檻の前にやってきた。タバコを咥え、脂ぎった手で檻の鉄格子を掴むと、ニヤリと笑った。 「おっ、このガキ……と思ったが、なんだオスかよ! 使えねぇな!」 男は玲央を値踏みするように見てから、軽蔑するように吐き捨て、檻の鉄格子を蹴り飛ばした。
玲央は衝撃で体を縮こまらせたが、その隣にいた物静かな少女が、驚きと恐怖で目を見開いた。 「……!」少女は震える手で自分の腕を掴み、鳥肌を立てるようにして怯えていた。
男は気を取り直したかのようにタバコの煙を吐き出し、次にその少女に目を向けた。 「こいつなら悪くないなぁ……おい、お嬢ちゃん、遊ぼうぜ。」 男は檻の中にズカズカと入ってくると、少女のツインポニーテールを掴み上げた。 「いやぁ! やめて……!」 少女は泣き叫びながら玲央の後ろに隠れようとしたが、男は力強く彼女を引き剥がした。
「おい、小僧!どけ!」男が玲央を突き飛ばすと、少女は目の前で涙を流しながら命乞いをする。 「お願い……助けて……!」彼女の声が玲央の耳に響いた。 玲央はその光景を目の前にして、強烈な無力感に襲われた。
その少女とは檻の中で親しくなり始めていたばかりだった。 「あなたは……どこから来たの?」 小さな声で玲央に話しかけてきた彼女。玲央が自分が異世界に飛ばされてきたことを語ると、少女もまた異世界からの転生者であることを明かしてくれた。 「同じなんだ……私たち……」 その言葉に、玲央はほんの少しだけ心の安らぎを覚えた矢先の出来事だった。
少女は泣き叫びながら連れて行かれ、玲央の目の前から姿を消した。 「……どうして、こんなことに……」 玲央は震える手で膝を抱え込み、何もできなかった自分を責めた。
市場の喧騒は続く。奴隷商人たちは次々と値踏みを行い、玲央にも目をつけ始めた。 「こいつは使い物になりませんぜ。男のくせにワンピースなんて好んで着る変わり者ですから。」 「そうだな、普通の労働奴隷にもならねぇ……」
その時、遠くから高貴な雰囲気を纏う少女が市場に足を踏み入れた。彼女は金の髪を風になびかせ、落ち着いた瞳で玲央に視線を向けた。 その横には、老執事がアタッシュケースを携えて立っている。
「お嬢様、こちらへどうぞ。どれも粗悪品ばかりですが……」奴隷商人が丁寧に頭を下げながら案内を始める。 だが彼女は周囲の喧騒を無視するように、静かに口を開いた。 「この娘に決めました。」
「え……お嬢様? ですがこいつは男ですよ?」 商人は困惑した様子で言葉を続けたが、彼女はきっぱりと言い返した。 「だから、この子に決めたのです。」
商人は顔をしかめたが、横にいる執事がアタッシュケースを開き、大金を差し出した瞬間、その態度は急変した。 「そ、そりゃあ、お嬢様!お目が高い……! さすがでございます!」
商人が檻の鍵を開けると、「おら、さっさと出ろ。お前を買ってくれるお方が現れたぞ!」と玲央を外へ引き出した。 玲央は半ば呆然としながら、差し出された少女の手を取った。
「怖かったわね。もう大丈夫よ。」 彼女の穏やかな声に、玲央は思わず涙を流し、その場で泣き崩れてしまった。
4. メイドとしての新しい生活
玲央はバザールから連れ出され、黒塗りの車――オースチンA50の後部座席に案内された。執事が静かにドアを閉めると、車は滑らかに動き出し、石畳の道を進んでいく。
街路を眺めながら、玲央は車内で小さく息を吐いた。バザールの喧騒はもう聞こえず、車内の静けさがむしろ彼の胸の内に膨らむ不安を強調しているようだった。 お姫様が隣で微笑みながら言った。「少しだけ落ち着いた?」 玲央はわずかに頷いたが、心の中はまだ整理がついていなかった。「どうして……こんなところにいるんだろう」そう自問しながら、目の前の非現実的な状況を受け入れようとしていた。
車が進むにつれて、レンガ造りの建物や広場、整然とした街並みが広がる。時折、砂埃を巻き上げるオート三輪が横を通り過ぎるが、車内から見る景色はどこか現代とは違う風情が漂っていた。玲央は異世界の空気に押しつぶされそうになりながらも、遠くに見える宮殿のような建物に目を奪われた。
車はやがて広大な敷地の入口に到着した。執事が手際よくドアを開け、お姫様が先に降り立つ。玲央も続いて外に出ると、目の前には壮大な宮殿がそびえ立っていた。 「ここが、あなたの新しい家よ。」お姫様が穏やかな声で言った。 玲央はその言葉に戸惑いながらも、小さく頷いた。「……これから、どうなるんだろう」胸の内でつぶやきながら、目の前の光景にただ圧倒されるばかりだった。
宮殿の中はさらに豪華だった。高い天井には巨大なシャンデリアが吊り下げられ、大理石の床には柔らかな絨毯が敷かれている。装飾品の一つ一つが丁寧に作られており、玲央は自分がいる場所の特別さを痛感せざるを得なかった。 「ここが……わたしが住む場所なの……?」玲央は小さな声で呟いた。
お姫様は微笑みながら、小さな箱を差し出した。「これ、あなたに似合うと思って。」 玲央が箱を開けると、中には丁寧に仕立てられたメイド服が入っていた。それはどこか男の子らしさを取り入れつつも、可愛らしさを兼ね備えたデザインだった。
「きみ、本当に可愛いよね。」お姫様は優しく言葉を続けた。「このお城で一緒に暮らしてほしいな……もちろん、嫌だったら無理には言わないわ。あなたの意思に従って、暮らしやすい場所まで送ってあげるから。」 お姫様の瞳には、玲央の返事を待つ真剣な想いが宿っていた。
玲央は少し迷ったが、小さく頷いて言った。「……わたしを、雇ってください。」 その言葉に、お姫様はぱっと笑顔を浮かべた。「ありがとう!」
「でも……いいのかな。わたし、メイド服を着たかったけど、メイドとしての立ち振る舞いとか、何もわからないんです……」 玲央が不安そうに呟くと、お姫様はその肩に優しく手を置いた。 「大丈夫よ。最低限、私の生活をちょっと助けてくれるだけでいいから。それに、困ったことがあったらいつでも言ってね。」 お姫様の言葉に、玲央は少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。
5. お姫様との時間
その日の夕方、玲央はお姫様に連れられてバザールを再訪した。彼のサイズに合わせた特注のメイド服やドレスが新たに買い揃えられ、玲央はその可愛らしいデザインに少し照れながらも嬉しそうに頷いた。
「本当に似合うね。可愛いよ。」お姫様は微笑みながら言葉を添えた。
その後、お城に戻ると、お姫様は玲央を一緒にお風呂に誘った。 「たくさん歩いたし、疲れたでしょ?一緒に入りましょう。」 湯気の中、玲央はお姫様の背を流しながら、不思議な安心感を覚えた。
その夜、玲央は初めての宮殿での寝室に通された。柔らかなベッドに横たわりながら、遠くで聞こえる風の音に耳を澄ませた。 「わたし、ここでやっていけるかな……」 窓辺で呟く玲央の目には、不安と希望が入り混じっていた。
6.お姫様の心
玲央が徐々に新しい生活に馴染み始める中、お姫様は彼を「女の子」として接していた。お姫様の内心では、玲央に対して淡い百合のような感情を抱いており、彼との時間を心から楽しんでいた。
一方で、映画で映し出されていたお姫様は「運命に縛られた無口な姫」として描かれていたが、実際の彼女は驚くほどフランクだった。 「ねぇ、こんな感じにしてほしいんだけどなぁ……」 時折甘えるような口調で話しかけてきたり、玲央を頼る姿を見せたりする一面もあった。
「あなたがいてくれるだけで、私も頑張れるわ。」 お姫様の言葉に、玲央は小さく頷きながら「わたしも……頑張ります」と微笑んだ。
6. バザールでの再会
異国の地を旅していたハクビシン獣人の魔法使い、くりもとちゃんとその相棒ドリルが、この国にたどり着いたのは、晴れ渡る青空の下で賑わうバザールだった。 「ここが噂のバザールか~!いい匂いがする!」 くりもとちゃんはそのふわふわの尻尾を揺らしながら、目を輝かせて屋台を見て回った。相棒のドリルはやれやれと呆れた表情を浮かべながら後ろをついてきていた。
ふと、くりもとちゃんの目に飛び込んできたのは、古びた携帯電話が並べられた屋台だった。 「これは何だろうね?どこか懐かしい形をしてるけど……」 くりもとちゃんが興味津々で手に取ると、店主は面倒くさそうに肩をすくめた。 「そいつは売れ残りだよ。値もつかないし、持って行きな。」 そう言って、店主は携帯電話をくりもとに手渡した。
「これ、電池が切れてるみたいだね……」 くりもとちゃんは不思議そうに携帯電話をひっくり返したりしながら呟いた。
その時、バザールの向こう側から大きな騒ぎが聞こえてきた。 「奴隷市場で何かあったみたいだな。」ドリルが耳をぴくりと動かしながら言う。 くりもとちゃんもその方向に目を向けた。「行ってみよう!面白そうな匂いがするよ!」
7. 奴隷市場での騒動
奴隷市場では、男の娘の両親が檻の中に閉じ込められていた。彼らもまた、異世界に転生させられ、ここで売られそうになっていた。 「おい、こいつらをさっさと連れて行け!」奴隷商人たちが怒号を飛ばす中、くりもとちゃんとドリルが人混みを掻き分けて市場に飛び込んだ。
「ちょっと待った!」 くりもとちゃんは胸を張り、両手を腰に当てながら高らかに叫んだ。 「その人たちはいただいていくよ!」
奴隷商人たちは呆気に取られたが、すぐに険しい表情に変わり、周囲の護衛たちに目配せした。 「何だ、お前は?ここで騒ぎを起こすとただじゃ済まないぞ!」 しかし、くりもとちゃんは全く動じることなく、手元の杖をくるりと回した。 「騒ぎ?むしろこれからが本番だよ!」
杖から放たれた光が護衛たちを怯ませ、その隙にドリルが檻の鍵を外す。 「おい、早く出て!」ドリルが叫ぶと、両親は慌てて檻から出てきた。
8. 屋敷での再会
市場での騒ぎが治まった後、くりもとちゃんとドリルは、男の娘の両親を連れてお姫様の屋敷に案内された。 「旅人がこの国に入ったと聞いて、迎賓客としてお招きしました。」お姫様は静かに微笑みながら言った。
屋敷の広間に通された男の娘は、立ち尽くしていた。目の前には、見覚えのある人物――自分の両親がいた。 「……お父さん、お母さん?」玲央の声は震えていた。
しかし、両親は異世界の衣装を纏い、疲れ切った表情を浮かべていた。彼らもまた長い苦難を経てきたのだろう。 「玲央……本当に、玲央なのか……?」父親が一歩前に出て、呟いた。
玲央はその場に立ち尽くし、涙が頬を伝った。 「お父さん、お母さん……どうしてここに……?」 その問いかけは、答えのないまま空気に溶けていった。
9. 成長したメイド長の姿
26歳になった玲央は、屋敷のメイド長として活躍していた。長い年月を経て、彼は女の子としての仕草や立ち振る舞いを完全に身につけ、その姿はまるで絵画から抜け出したかのようだった。 ロングヘアが柔らかく揺れ、きらびやかなメイド服を纏った玲央の姿に、誰もが目を奪われた。
屋敷の広間では、玲央がメイドたちに指示を出している姿があった。 「次の来客に備えて、客間のテーブルクロスを新調しておいて。あと、庭の掃除も忘れないで。」 玲央の声は穏やかでありながら、的確な指示で部下たちを動かしていた。
メイドたちも彼を心から信頼していた。 「さすがメイド長、いつも完璧ですね!」 部下の一人がそう言うと、玲央は少し照れたように微笑みながら答えた。 「そんなことないわ。みんなが頑張ってくれるおかげよ。」
彼の立ち振る舞いは、細部にまで気を配られたもので、立つ姿勢や歩く所作にも一切の無駄がなかった。 ドレスの裾を軽く持ち上げながら優雅に歩くその姿は、メイドというよりも貴族の令嬢を思わせるものだった。
玲央の仕事はメイド業務だけではなかった。今ではお姫様の側近としての役割も担い、重要な会議や外部との交渉にも同席するようになっていた。 その時の彼は一層引き締まった表情を見せ、威厳すら感じさせる佇まいだった。
しかし、玲央の中には柔らかい一面も残っていた。 ある日、メイドたちが疲れた顔をしているのを見て、彼は自ら厨房に立ち、手作りのお菓子を振る舞った。 「今日はこれでひと息ついてね。」 玲央の作った焼き菓子は甘く、ほっとする味わいで、メイドたちの顔には自然と笑顔が戻った。
「メイド長、本当にありがとうございます!」 部下たちが感謝の言葉を口にすると、玲央は少し恥ずかしそうに微笑みながら言った。 「みんながいてくれるから、私も頑張れるのよ。」
夜になると、玲央は一日の仕事を終えて、自室の窓辺に佇むことが多かった。 静かな月明かりが彼の顔を照らし、その表情にはどこか物思いにふけった様子が伺えた。 「……これで良かったんだよね。」 玲央は小さく呟きながら、そっと瞼を閉じた。その心には、お姫様への忠誠と、この世界での新たな人生への覚悟が刻まれていた。
10. 現実世界への帰還を拒む宣言
屋敷の客間に集められた玲央とその両親。長い年月を経て、異世界で再会を果たしたものの、その空気は緊張に包まれていた。 両親は疲れ切った表情で椅子に腰を下ろし、玲央はその前に立っていた。ロングヘアが揺れるたびに、かつて息子だったはずの姿とのギャップが両親の心を締め付けた。
「玲央……本当に、お前なのか……?」 父親が震える声で問いかけると、玲央は静かに微笑みながら頷いた。 「はい、お父さん、お母さん。わたしが玲央です。」
その答えに、母親は涙を流しながら言葉を続けた。 「どうして……どうしてこんなことに……!こんな世界で、どうしてこんな姿になって……!」
玲央は両親の言葉を聞きながらも、淡々とした口調で答えた。 「ここが、わたしの居場所なんです。」 その言葉に父親の顔が怒りに染まった。
「玲央、お前は現実世界の人間だ!戻らなければならない!こんなところにいていいはずがないだろう!」 父親が拳を握りしめながら叫ぶと、玲央の目にも一瞬の揺らぎが見えた。しかし、彼は静かに首を振る。
「お父さん、もう遅いんです。」玲央の声は穏やかだったが、その瞳には決意が宿っていた。「わたしはここで生きることを選びました。お姫様と一緒に、この世界で。」
「玲央!」 父親は立ち上がり、机を叩きつけるようにして声を張り上げた。「現実を見ろ!お前は俺たちの息子だ!何をそんな馬鹿なことを言ってるんだ!」
部屋の空気が一気に張り詰める。周囲にいたメイドたちはその場の雰囲気に怯えながらも、なんとか落ち着かせようと間に入った。 「ご主人様、どうか冷静になってください……!」
しかし、玲央は一歩も引かなかった。その背筋はまっすぐに伸び、毅然とした態度で父親を見つめ返した。 「お父さん、お母さん……私は、この世界で役目を果たしているんです。」
彼は続けた。「お姫様の側近として、そしてこの屋敷のメイド長として。私にはここでの生活があり、ここでしか果たせない役割があります。」
母親が涙ながらに呟く。「でも……玲央、あなたにはもっと幸せな未来があるはずよ。どうか、一緒に戻りましょう……お願いだから。」
玲央の胸が一瞬だけ締め付けられるような感覚があった。だが、その瞳に揺らぎはなかった。 「お母さん……わたしはここが幸せなんです。この世界で、お姫様のために生きることが。」
その言葉に、父親の怒りは頂点に達した。 「ふざけるな、玲央!目を覚ませ!」 拳を振り上げようとした瞬間、玲央は静かに杖を手に取り、魔力を放った。
「これ以上、わたしの選択を否定しないで!」 玲央の叫びと共に、部屋中にグラビデ魔法の波動が広がった。重力に押しつぶされた家具が軋みを上げ、床にはひびが入る。
メイドたちが慌ててその場を取り繕う中、両親は呆然と立ち尽くしていた。そして、部屋の隅に立っていたお姫様も、玲央の激しい感情の表出に驚きの表情を浮かべていた。
玲央は深く息をつき、震える声で言った。 「ごめんなさい。でも、わたしはここで生きていきたいんです……」
その言葉に、お姫様は静かに歩み寄り、玲央の肩に手を置いた。 「玲央……あなたがそこまで強い気持ちでこの世界を選んでくれたのね。」 お姫様の言葉に、玲央は小さく頷いた。
そして、両親は沈黙の中で、息子――いや、一人の覚悟を持った女性としての玲央の姿を見つめていた。
11. 怒りの爆発とお姫様の驚き
「玲央!いい加減にしろ!」 父親の怒声が屋敷の客間に響き渡った。その拳が机を叩く音と共に、空気がさらに張り詰める。
玲央はじっと立ち尽くしていたが、その肩は微かに震えていた。 「……もう、わたしのことは放っておいてください。」 玲央の言葉は静かだったが、その中には強い感情が込められていた。
「放っておけるものか!」父親は声を荒げた。「お前は俺たちの息子なんだ!どうしてこんな世界で、こんな姿で生きることを選んだんだ!」
「そうよ玲央、お願いだから……戻ってきて。私たちと一緒に帰ろう?」 母親の涙混じりの懇願も、玲央の心に届くことはなかった。
玲央はゆっくりと顔を上げると、家族をまっすぐに見つめた。その瞳には、深い悲しみと強い決意が宿っていた。 「お父さん、お母さん……わたしは、ここでお姫様のそばにいることを選びました。それが、わたしの生きる道です。」
「ふざけるな!」父親の怒りが再び爆発した。「そんなのはただの逃げだ!現実を見ろ、玲央!戻るんだ、今すぐ!」
父親が前に詰め寄ろうとしたその瞬間、玲央の感情が限界を迎えた。 「……もうやめて!」 玲央が叫ぶと同時に、彼の杖から濃密な魔力が解き放たれた。
部屋全体が突然重力に押し潰されるような感覚に包まれる。家具は軋みを上げて倒れ、床にはひびが走り始めた。
「玲央、何を……!?」 父親が驚きに目を見開くが、その声すらも魔力の波動にかき消されていく。
「これ以上、わたしの選択を否定しないで!」 玲央の叫びが魔力に乗って響き渡る。客間の壁には無数のひびが入り、天井の装飾が崩れ落ちた。
周囲のメイドたちは悲鳴を上げながら部屋の隅に退避し、なんとか玲央をなだめようとした。 「メイド長、どうか落ち着いてください!これ以上は……!」 しかし、玲央の目には、涙が溢れながらも怒りと悲しみが燃え上がっていた。
そんな中、お姫様が静かにその場を見つめていた。彼女は玲央の中に押し込められていた感情が一気に噴き出したその瞬間を、まるで時が止まったかのように見守っていた。 「玲央……あなた……」 お姫様の口元がわずかに震えた。これまで見せたことのない玲央の激しさに、驚きと同時に深い何かを感じ取っていた。
やがて魔力の嵐が収まり、部屋には静寂が訪れた。家具は倒れ、壁の一部は崩れ落ちていた。 玲央はその場に崩れ落ち、杖を握る手を震わせながら、涙を流した。
「ごめんなさい……でも、わたしはここで生きることを選んだんです……」 玲央の声はかすれていたが、その中には揺るぎない決意が込められていた。
お姫様はゆっくりと玲央に歩み寄り、その肩にそっと手を置いた。 「玲央……」 その優しい声に、玲央は初めて顔を上げ、涙で濡れた頬を見せた。
「あなたがそこまで強い気持ちで選んだ道なら、私はそれを支えるわ。」 お姫様の言葉に、玲央は嗚咽を漏らしながら、深く頭を下げた。
12. 映写機と最後の選択
映写機の光が消え、玲央とお姫様が静かに立ち尽くしている中、部屋の外から軽快な声が響いた。 「ふぅ、これで一件落着って感じかな?」 くりもとちゃんがふわふわの尻尾を揺らしながら部屋に入ってきた。
彼女の後ろには相棒のドリルが控え、落ち着いた表情で頷いている。 「結局、君たちが選んだ道が正解だったんだろうさ。これ以上ここに居ても、邪魔になるだけだしね。」 ドリルが言うと、玲央は少し寂しそうに微笑んだ。
「くりもとちゃん、ドリルさん……本当にお世話になりました。」 玲央は深々と頭を下げた。
くりもとちゃんは手をひらひら振りながら言った。「いいってこと!あたしらは旅人だからね。こうしていろんな人たちの話に関われるのが楽しいんだから。」
お姫様も一歩前に出て、静かに礼を述べた。「くりもとさん、ドリルさん。あなたたちのおかげで、私たちは大切な決断をすることができました。本当にありがとう。」
「礼なんていいさ。それより、あんたらがこれから幸せに生きるのが一番さ!」 ドリルがにっこりと笑いながら答えた。
旅立ちの準備を整えたくりもとちゃんたちは、屋敷の門の前に集まった。屋敷のメイドたちが見送りに並び、玲央とお姫様も一緒に立っていた。
「じゃ、あたしたちは次の街に行くから。」くりもとちゃんが大きく手を振った。「またどこかで会おうね!」
玲央とお姫様はその後ろ姿をじっと見つめながら、小さく手を振り返した。 「きっと……またどこかで。」玲央が小さな声で呟いた。
13. 新たな日常
旅人たちが去り、屋敷には再び穏やかな日常が戻ってきた。 メイドたちは忙しく働き、玲央はその中心でメイド長としての役目を果たしていた。
お姫様は執務室で仕事をしながら、ふと窓の外を眺めることがあった。その瞳には、去っていったくりもとちゃんたちへの感謝と、これからの未来への期待が混じっていた。
一方、玲央はメイドたちと一緒に庭の手入れをしていた。その姿には、かつて迷っていた少年の影はなく、しっかりとこの世界に根を下ろした一人の人間としての誇りがあった。
夕暮れ時、屋敷の庭に二人の姿があった。お姫様と玲央が並んで立ち、二つの月が輝く空を見上げていた。 「玲央、これからもよろしくね。」 「はい、お姫様。これからも、ずっと。」 その言葉には、何の迷いもなかった。
そして、夜の静けさの中、屋敷の灯りが一つずつ消えていった。異世界の片隅で織りなされる新たな日常は、静かに続いていくのだった。